南保富士(727m) 雁谷三山縦走 2020年5月24日

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新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が各地で解除され、自粛モードも徐々に緩和に向かってきている。しばらく控えていた山登りを再開することにした。まだ県境を跨ぐ移動は抵抗があるので、越境するギリギリ手前の朝日町に焦点を当て、富山の百山に選定されている『南保富士』、越中の百山『二王山』、そして南保富士とともに雁谷三山と呼ばれているという『仁王平峯』『雁谷峯』を縦走するといったプランを立てた。周遊しながら複数のピークを踏むことが出来、低山ながら楽しめそうだ♪

ルート紹介

距離: 16.1 km
最小標高: 200 m
最大標高: 784 m
累積標高(登り): 837 m
累積標高(下り): 822 m

三峯グリーンランドより出発

9:05

三峯グリーンランドPより舗装路をしばらく歩くと登山口の案内板が。本来はこの先もこの道に沿って進めるようだが、工事による立ち入り規制の為、ここから迂回せよということなのだろう。これに従い、旧池ノ原集落跡へ入る。

集落跡の入り口にあった案内板。山登りをしていると限界集落はもちろん、すでに廃村となってしまった所も良く目にし、その都度切ない気持ちになる。

田んぼの跡だろうか。

明らかに人為的に埋められたであろう規則的に立ち並ぶ杉の中を抜ける。

この道はどうやらトレイルランの大会『あさひトレイルZERO to ZERO』のコースになっていたようだ。

9:33

しばらく歩くと広い林道のY字路に出た。

9:36

Y字路のすぐ先に尾根に取りつく登山口があり、ここから本格的な登りとなった。

清々しい木漏れ日を浴びながら歩を進める。

標高約400mを超えた辺りから斜度がぐっと強まりどんどん高度を上げる。中々の急登に息が上がり気味(汗) 樹間から覗く僧ヶ岳&駒を眺め一息つく。

10:20

スタートから約1時間20分、南保富士山頂到着♪

雲が掛かり、視界はイマイチ。

黒部扇状地と富山湾はクッキリ。

10:30

時間はまだ早いので、お地蔵様に別れを告げ、先に進む。

二王山経由、仁王平峯、雁谷峯、縦走

10:35

南保富士と二王山の鞍部。二王山と仁王平峯への分岐点。

分岐から先は、鬱蒼としたブナ林の中を細い踏み跡を辿り進む。

10:50

二王山山頂と思われし箇所。南保富士と違い、全く見晴らしはない。南保富士とは目と鼻の先の距離しか無いのに、この違いは何故??

11:10

分岐点まで戻り、お次は仁王平峯方面へ。こちらは踏み跡がしっかりしている。

七重川谷源頭部

11:15

樹木に『木』ってペンキは何やっ!と思ったら『水』でした

細い沢があった。有難く給水。

11:23

次に目指す仁王平峯を捉えた。南保富士に負けず劣らず独立峰っぽい装い。

11:30

最低鞍部に降り、そこから50mほど登り返すと、、

11:37

仁王平峯、到着♪

東側の視界は効く。大鷲山方面だと思うが、手前のピークに蹴られてそれは見えない。画像右手は焼山かな?

良い時間なので、ここでノンアルで祝杯、昼食とする。

12:10

その後、最後のピーク、雁谷峯へ向けリスタート。

12:28

雁谷峯、到着。三角点があった。

下界を見下ろす。

12:50

ぐんぐん高度を下げる。この辺は松の木が多く、海の近くだという事を感じさせる。

13:00

谷筋に降りてくると崩落地が。トラロープを垂らしてあるのが非常に有難い。

13:05

谷に降り立つ。沢を渡ると竹林が広がり採りごろを過ぎたタケノコが乱立していた。

堰堤を横目に進み、

13:25

林道と合流。この辺りで近所の集落のおばあちゃんに出会い、軽く世間話。南保富士や黒菱山によく登っておられるとの事。結構なお年にみえるのになんとお元気な。

七重滝、水平歩道~登山口

13:33

2,3分歩くと、七重滝の滝見台への遊歩道との分岐。

13:40

滝見台。

山肌にみえる七重滝(しっちゃだき)。二重しか見えない(汗)ここより良い展望スポットあるんじゃない?

13:50

滝見台からは、麓の集落に水を引くために整備されたがのちの減反政策によりその使命を終えたという西山用水跡を利用した水平歩道を歩く。途中、猪山への分岐点があったが、ピークハントはもうお腹一杯なのでスルー(笑)

右側は大きく切れ落ちている

欅平から仙人谷に向かう水平歩道に肉薄する雰囲気を醸し出す箇所も。こんな所に用水を作った先人たちの執念を感じる(汗)

14:15

水平歩道を黙々と進み、登山口があった林道分岐点に着。

池の原集落跡まで戻ってきた。ちょっと手入れすれば、まるで高原別荘地のような雰囲気になりそうで、廃村になったのが非常に悔やまれる。

何かを訴えかけてくる廃屋。

主人の帰りを黙って待っている耕運機。残念ながら再び活躍する日は二度とないのだろう。

感傷に浸っていると、すぐそばの道で軽トラにのったご老人とお会いした。ご挨拶をし話を伺うと、40年ほど前までここに住んでおられたと方だと仰る。しかも江戸時代にこの集落を開拓した人物の子孫だとも。

往年の事を色々と聞かせて頂いた。最盛期は11軒の世帯があり、今は鬱蒼としている林も当時は綺麗に刈り払われ田んぼが広がっており、集落からは富山湾やその先の能登半島まで一望できたそうだ。

雑草が生い茂った耕作放棄地のような所を指さし、「ここもワシとこの田んぼやったがやけどねぇ」と一言。集落を離れなくてはならなくなった時のご心境を思うと居た堪れなくなった。

話をしていた所の直ぐ真後ろにこじんまりとしたお宮さんがあった。定期的に手入れをされているのだろう。痛みはあまりない。

「石谷神社といいます。良かったらまたお参りにきてったはれ」との言葉を最後に挨拶をし、ご老人とお別れをした。

日本各地はおろか県内だけでも、ここのように、人が離れ荒廃した里山、山村が無数にある。事情は様々。単に生活の不便という事もあろうが、例えば高度経済成長期、より豊かな生活を求めた人々の都市部への流出、インフラ維持管理の効率化のため孤立散在する集落を基幹集落にまとめるといった自治体の移転事業などなど。

間違いなく、かつてはそこに人々の営みがあったのだ。

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